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福原忍の情報 (ふくはらしのぶ)
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【9月21日】今日誕生日の芸能人・有名人

福原忍の情報(ふくはらしのぶ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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福原 忍さんについて調べます

■名前・氏名
福原 忍
(読み:ふくはら しのぶ)
■職業
野球選手
■福原忍の誕生日・生年月日
1976年12月28日 (年齢47歳)
辰年(たつ年)、山羊座(やぎ座)
■出身地・都道府県
広島出身

(昭和51年)1976年生まれの人の年齢早見表

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福原忍と関係のある人

山崎賢太: 広陵高校では、佐竹健太がエースで同級生、二岡智宏、福原忍は2学年先輩、稲田直人は1学年後輩であった。


川中基嗣: 東洋大学では同期に塩崎真と清水隆行(塩崎は中退)、3学年先輩に和田孝志、2学年先輩に関口伊織、1学年後輩に今岡誠、2学年後輩に田中充、3学年後輩に福原忍がいた。


今岡誠: 東洋大学では3学年先輩に関口伊織、1学年先輩に清水隆行と川中基嗣と塩崎真、2学年後輩に福原忍、3学年後輩に前田忠節がいた(※塩崎は中退)。


二岡智宏: 同じプロ野球選手の福原忍と小学校から高校(広陵高等学校)まで同窓であり、中学校までは二岡がエースだった。


加藤康介: シーズンを通じて自己最多の61試合に登板し16ホールドを挙げるなど大活躍し、福原忍と安藤優也らと共にリリーフ陣を支えた。


上村和裕: 初打点:2009年4月25日、対阪神タイガース5回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、8回裏に福原忍から中前適時打


山崎武司: 同年のリーグ優勝決定前最後のホームゲームとなった9月26日の対阪神戦(ナゴヤドーム)では、2点ビハインドの2対4で迎えた9回裏に福原忍から28号となる逆転サヨナラ3点本塁打を放ち、打った瞬間バンザイでサヨナラ本塁打を確信した。


久保康友: その間の抑えには福原忍がほぼ定着していたが、久保は7回 - 8回にかけてのセットアッパー起用に変更された。


新庄剛志: 7月11日、第2戦(長野オリンピックスタジアム)3回裏二死三塁の場面(バッテリー:元同僚の福原忍・矢野輝弘、打者:同僚の小笠原道大)で、三塁走者の新庄は捕手が投手に返球した瞬間にスタートを切り本塁にヘッドスライディング。


ジョニー宜野湾: 中でも「一本道」は同郷のプロボクサー平仲信敏が最後の試合となったコウジ有沢戦で入場テーマとして使用し、阪神タイガースの投手福原忍選手が2008年度から入場テーマとして採用している。


坪井智哉: 坪井の1年後(1999年)にプロ入りした福原忍は「ニュースで知りました。


清原大貴: 5月15日には、一軍の救援陣を担っていたベテランの福原忍が腰の張りを訴えたことから、福原に代わって2年振りの一軍登録。


野村克也: 投手陣では、リリーフエースから先発に転向させた福原忍や若手で野村監督就任時2年目だった井川慶に大きな期待をかけていた。


久保田智之: 5月24日の対ヤクルトスワローズ戦(松山)で、福原忍の球団最速記録を塗り替える156 km/hを計測した。


中村武志: 同年5月25日の対阪神タイガース戦では1-1で同点の9回一死満塁の打席で福原忍からサヨナラ安打、8月29日の対横浜戦では1点を追う9回二死二・三塁の打席で島田直也から逆転サヨナラ2点適時打の2度サヨナラ安打を放つなど、11年ぶりのリーグ優勝に貢献。


宮崎充登: 初安打:2007年9月29日、対阪神タイガース24回戦(阪神甲子園球場)、4回表に福原忍から中前安打


中井哲之: 福原忍(元阪神タイガース)


杉山直久: 2007年は開幕一軍を逃すも、4月に福原忍の抹消に伴い一軍昇格。


矢野輝弘: 矢野は下柳・安藤優也・福原忍の先発登板試合でスタメンマスクを任されていたほか、それ以外の試合では、代打からの出場でクローザーの藤川とバッテリーを組むことが多かった。


清水隆行: 東洋大学時代の同期には川中基嗣と塩崎真(塩崎は中退)、3学年先輩に和田孝志、2学年先輩に関口伊織、1学年後輩に今岡誠、2学年後輩に田中充、3学年後輩に福原忍がおり、川中とはプロで再びチームメイトとなった。


ジェイミー=デントナ: 初本塁打:同上、5回表に福原忍から中越2ラン


下柳剛: 榎田大樹や福原忍は「下柳さんがいたから」などと感謝の意を示している程で、「教材」が抜けた阪神の穴は大きかったとも言われた。


野原将志: 初打席:2011年8月30日、対中日ドラゴンズ16回戦(ナゴヤドーム)、9回表に福原忍の代打として出場、鈴木義広に対し投ゴロ


高波文一: 同年8月13日の対ヤクルト戦では、12回裏に投手の福原忍が安打を放ち、その代走で出場した高波が盗塁を試みるも失敗、という珍しいケースもあった。


片岡易之: 初盗塁:2005年5月17日、対阪神タイガース1回戦(西京極球場)、6回表に二盗(投手:福原忍、捕手:野口寿浩)


安藤優也: 2017年には、2015年まで自身と共に救援陣の一角を担ってきた福原忍の引退(二軍育成コーチへの転身)によって、チームの現役最年長投手(野手を含めれば福留孝介と並ぶ最年長選手)としてシーズンに臨んだ。


小久保裕紀: 2004年、故障箇所にサポート器具を装具し、膝関節も曲がりきらない状態でシーズンを迎え、トレードマークだった一本足打法から、膝への負担軽減を図るべくすり足打法に変えて、3番・三塁手で阪神との開幕戦からスタメンで出場し、翌試合に福原忍から東京ドームのライトスタンド中段へ移籍後初安打・初本塁打を記録。


前田忠節: 1年上に福原忍、同期に久保田智、1年下に三浦貴、小川将俊らがいた。


山口高志: 同年には、右肩手術からのリハビリ中だった福原忍に対して、右肩に負担の掛かりにくい投球フォームを指導した末に復帰へ導いた。


トニ=ブランコ: 7月1日の対阪神タイガース戦(ナゴヤドーム)で6回裏に福原忍から3点本塁打を放ち、アーロン・ガイエル(東京ヤクルトスワローズ)に次ぐ外国人史上2人目の、1年目でセ・パ11球団に対し本塁打を放つなど、球宴休みまでに打率.295、28本塁打の成績を挙げていた。


福原忍の情報まとめ

もしもしロボ

福原 忍(ふくはら しのぶ)さんの誕生日は1976年12月28日です。広島出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

引退、映画に関する情報もありますね。今年の情報もありました。福原忍の現在の年齢は47歳のようです。

福原忍のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

福原 忍(ふくはら しのぶ、1976年12月28日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、コーチ。

現役時代から一貫して阪神タイガースに所属。現役最終年の2016年には投手キャプテンを務めた。現役引退後の2017年からも球団に残り、コーチを務めている。

二岡智宏とは小学校から広陵高校まで同窓で、小学校では4度クラスメイトになった。野球を始めたのも二岡と兄の影響である。高校3年時は二岡との二枚看板で夏の広島大会では優勝候補筆頭に挙げられていたが、新井貴浩を擁する広島工業高校に敗れた。東都大学野球連盟所属の東洋大学に進学。1部リーグ通算14試合に登板、1勝4敗 防御率4.87で、4年時は春から2部リーグながら秋に6連勝をしてMVPで1部復帰の原動力となった。東洋大学では3学年先輩に清水隆行と川中基嗣、2学年先輩に今岡誠、1学年先輩に田中充、1学年後輩に前田忠節、2学年後輩に三浦貴がいた。今岡と前田とは後にプロで再びチームメイトとなる。1998年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから3位指名を受け入団。

入団当初から150 km/h台の速球が注目されており、1999年は野村克也監督に抜擢され、4月4日の読売ジャイアンツ戦に5番手で登板し、プロ初勝利を挙げて同年の新人投手の白星第1号となり、新人投手で4月中に初勝利と初セーブを挙げるという球団史上初の快挙を成し遂げ、中継ぎ、抑えとフル回転し10勝7敗9セーブを記録した。野村監督に「よう(ドラフト)3位でこんなん獲れたな」と言わしめるほど、華々しい結果を挙げたルーキーイヤーであったものの、セ・リーグ新人王投票では新人で10勝を挙げながら福原への投票は無かった(巨人の上原浩治が受賞)。

2000年、2001年は共に先発投手としてスタートし、2000年4月18日の対巨人4回戦では相手打線を4安打に抑えてプロ初完封を達成したが、援護に恵まれず、後半はリリーフに回るようになる。

2002年オフに手術。

2003年はリハビリ中に二軍投手コーチの山口高志から、軸足となる右の膝を折らずに体重を前方にかけるフォームの指導を受け、それを受け入れた。同年8月31日の対ヤクルトスワローズ戦で先発として復帰戦に臨み、勝利投手となる。チームは1985年以来のリーグ制覇を果たし日本シリーズでは第6戦に先発の伊良部秀輝が2回でノックアウトされた後の二番手で登板し4回2/3を1失点と試合を作った。

2004年は先発ローテーションに定着し、4月には5勝0敗防御率2.43で月間MVPを受賞した。監督推薦で同年のオールスターに出場、第2戦で先発登板して3回を新庄剛志の本盗の1失点に抑え新人賞を受賞したが、打線の援護がなく敗戦投手となった。しかし後半戦は調子を落とし、好投しても援護のない試合が続き勝ち星は伸びず、最終的に防御率はリーグ7位だったが、10勝15敗でリーグ最多敗戦投手となった。尚、同年は巨人戦に滅法強く、5月13日には7回まで投げて巨人が開幕から続けていた連続試合本塁打を止めるなど、8試合に登板して6勝無敗防御率1.73の対戦成績を残した。

2005年は開幕二戦目に登板しシーズン初勝利を挙げたが前年以上に援護に恵まれないどころか守備でも足を引っ張られ6連敗を記録。オリックス・バファローズ戦で2試合とも完封を収め、リーグ最多タイの2完封(他5人)だったが、この年も好投しながらも負けが先行し8勝14敗に終わり、1995年・1996年に記録した藪恵壹・湯舟敏郎以来の二年連続リーグ最多敗戦投手となった。チームは2年ぶりのリーグ制覇を果たした。なお、優勝球団からリーグ最多敗戦投手が出たのは、この時の福原が史上唯一である。日本シリーズではチームが4戦で4連敗だったためシリーズ4戦目にリリーフ登板で終わってしまった。

2006年は腰痛で出遅れたもののスローカーブを主とした緩急を使った投球で抜群の安定感を見せ、勝ち星に恵まれるようになる。ペナントレース終盤では井川慶を押しのけ、ローテーションの中心を担った。9月10日の横浜ベイスターズ戦で自己新となる11勝目を挙げ、最終的に自己最多の12勝5敗、リーグ2位となる防御率2.09の好成績を残した。オフにはチームメイトの安藤優也と共に映画『青空のルーレット』(2007年公開)に出演。

2007年は故障で出遅れ、2勝8敗、防御率6.53に終わった。

2008年は故障もなく順調に調整することができ、開幕3戦目となる3月30日の横浜戦でシーズン初登板を完封勝利で飾る好スタートを切ったが、4月24日の中日ドラゴンズ戦でバントを試みた際にボールが右人差し指に直撃して負傷退場。その後、右示指(じし)末節骨骨折と診断され離脱した。

2009年は完投する試合こそあったものの、シーズン通して絶不調で3勝10敗と大きく負け越した。

2010年は先発ローテーションから外れ、7月までほとんど二軍で過ごした。8月以降は主に敗戦処理として登板するも、防御率5.18と結果は残せず、プロ入り後初めて未勝利に終わる。

2011年はシーズン当初、主にビハインドの場面から救援で登板。シーズン途中からは自身の好調に加え、小林宏や久保田智之の不調などから勝ちパターンでの起用が増えた。9月7日の対広島東洋カープ戦では、一軍公式戦で自身2年ぶりの勝利を記録。一軍公式戦全体では、自己最多のシーズン55試合登板を果たすとともに、防御率2.59、11ホールドを記録した。

2012年も中継ぎとして安定したピッチングを見せ、5月4日の巨人戦ではストレートの球速が153km/hを記録した。 6月14日の埼玉西武ライオンズ戦では1点リードの9回裏に4番手として登板。三者凡退に抑えて11年ぶりのセーブを記録。最終的に自己シーズン最多となる60試合に登板、防御率1.76、18ホールドと前年よりも安定した成績を残し、メジャーリーグ複数球団が獲得に乗り出す動きも報じられた。

2013年も中継ぎとして開幕当初から安定したピッチングを続け、腰痛による登録抹消はあったものの、開幕当初の守護神だった久保康友が不調で二軍落ちするなどの背景もあり、クローザーとして定着、8月24日の中日戦(ナゴヤドーム)で自身初の10セーブ目を挙げた。

2014年は新外国人の呉昇桓が守護神として起用されたため、セットアッパーに復帰。5月4日の対ヤクルト戦で通算1000奪三振を達成した。右内転筋の張りによる離脱以外は一軍で投げ続け、終盤こそ疲労からやや安定感を欠き呉のリリーフを受ける場面もあったが、シーズン通算で42ホールドポイントを記録したころから、セントラル・リーグの最優秀中継ぎ投手に選ばれた。福原にとっては初めてのタイトルだったが、阪神球団の歴代最年長記録に当たる38歳での獲得となった。

2015年は一軍での中継ぎ投手不足を背景に、前年に続いてセットアッパーとして奮闘。39ホールドポイントで2年連続の最優秀中継ぎ投手に選ばれたため、タイトル獲得の球団史上最年長記録を更新した。

2016年は一軍監督として復帰した元チームメイトの金本知憲から投手キャプテンに任命された。公式戦の開幕から一軍のセットアッパーを任されたが、4月18日の中日戦でダヤン・ビシエドにサヨナラ本塁打を打たれるなど救援の失敗が相次いだことから、4月20日に出場選手登録を抹消。自身の不調による二軍調整を前提に置いた抹消は2010年5月27日以来6年ぶりであった。

その後も調子や球威が戻らず、ウエスタン・リーグ公式戦での調整登板でも不安定な投球が続いた。これに対して阪神球団では、同年8月27日に開いた編成会議で福原を翌年の戦力構想から外す方針を確認した。

福原自身も一軍に復帰できないまま9月23日に同年限りでの現役引退を表明。同日開催の引退記者会見では、引退を決意した理由に「今までなら一軍の打者から空振りやファウルを取れたはずの球が、(ウエスタン・リーグ公式戦で対戦した)二軍の打者にも捉えられるようになった」ことを挙げたうえで、「『広陵高校の先輩でもある金本監督を何とか胴上げしたい』と思っていたが、チームや監督の力になれなくて申し訳ない」「多くの阪神ファンの前で投げられる甲子園球場の(他球場に比べて)少し高いマウンドは最高」「いろいろな方に支えられて、18年間現役を続けられたことに感謝している」と語った。

阪神球団では、レギュラーシーズンの最終戦であった2016年10月1日の対巨人戦(甲子園)を福原の引退試合として開催した。この試合で約5か月ぶりに一軍へ復帰した福原は、「打者1人」という条件で、8回表に2番手投手として救援登板。マウンドで待ち受けていた金本から直々にボールを受け取ると、立岡宗一郎に対して140km/h台前半の直球だけで勝負した後に、3球目で左飛に打ち取って涙ながらに現役生活を終えた。試合後に開かれた引退セレモニーで球団関係者・チームメイト・ファンに加え、甲子園球場のグラウンド整備を担う阪神園芸のグラウンドキーパーに対しても感謝の意を表明。「僕がプロの第1球を投げたのは、東京ドームの巨人戦でした。そして今日、この甲子園の伝統の一戦で最後の1球を投げることができて、本当に幸せです。この一戦がいつまでも『伝統の一戦』と呼ばれるように、両球団のファンの皆様には、これからもたくさんの応援を宜しくお願いします」という言葉で挨拶を締めくくると、阪神ナインから8回にわたって胴上げされた。そして10月26日付でNPBから任意引退選手として公示された。

2017年から阪神に新設されるファーム育成コーチに就任。新人・若手投手の指導を担当。

2019年から2022年までは一軍投手コーチを務め、2023年からは二軍投手コーチに配置転換された。

ストレートの平均球速144.9km/h(2012年)、150km/h超の真っ直ぐと落差の大きいカーブは強力と言われた。

各年度の太字はリーグ最高

「-」は記録なし

通算成績の「*数字」は不明年度があることを示す

最優秀中継ぎ投手:2回(2014年、2015年)※2年連続は最長タイ記録

月間MVP:1回(投手部門:2004年4月)

オールスターゲーム新人賞(2004年)

ヤナセ・阪神タイガースMVP賞:1回(2006年)

サンスポMVP新人賞(1999年)

初登板:1999年4月2日、対読売ジャイアンツ1回戦(東京ドーム)、8回裏一死に4番手で救援登板・完了、2/3回2失点

初勝利:1999年4月4日、対読売ジャイアンツ3回戦(東京ドーム)、7回裏に5番手で救援登板、1回1/3を2失点

初奪三振:同上、7回裏に後藤孝志から空振り三振

初セーブ:1999年4月18日、対ヤクルトスワローズ3回戦(福岡ドーム)、7回裏に3番手で救援登板・完了、3回無失点

初先発・初先発勝利:2000年4月4日、対ヤクルトスワローズ1回戦(明治神宮野球場)、7回1/3無失点

初完投勝利・初完封勝利:2000年4月18日、対読売ジャイアンツ4回戦(東京ドーム)

初ホールド:2011年4月16日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、12回裏に6番手で救援登板、1/3回無失点

初安打:1999年5月8日、対横浜ベイスターズ7回戦(横浜スタジアム)、8回表に矢野英司から右前安打

初本塁打・初打点:2001年4月1日、対読売ジャイアンツ3回戦(東京ドーム)、2回表に斎藤雅樹から左越ソロ

1000投球回:2009年4月25日、対広島東洋カープ5回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、2回裏三死目に喜田剛を二塁ゴロで達成 ※史上317人目

1000奪三振:2014年5月4日、対東京ヤクルトスワローズ8回戦(明治神宮野球場)、8回裏に雄平から空振り三振 ※史上137人目

500試合登板:2014年7月25日、対広島東洋カープ11回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、8回表に3番手で救援登板、1回無失点 ※史上93人目

オールスターゲーム出場:1回(2004年)

28(1999年 - 2016年)

85(2017年 - )

Love Somebody - 織田裕二 & Maxi Priest

タッチ - 岩崎良美

一本道(福原忍バージョン) - ジョニー宜野湾(オリジナル)

青空のルーレット(2007年 パンドラ) - 当時の同僚の安藤優也と共演。

^ 福原は、阪神入団記者会見でプロ野球選手にならなかったら、俳優になりたかったと発言していた。

^ 岩瀬仁紀、森慎二、藤川球児、久保田智之、攝津正、浅尾拓也、山口鉄也、佐藤達也、宮西尚生、清水昇と同回数でタイ記録。

^ 「福原 金本監督との“橋渡し”任せろ」『デイリースポーツ』2015年12月9日。2024年3月28日閲覧。

^ 「福原忍ファーム育成コーチ就任会見」『阪神タイガース公式サイト』2016年10月24日。2024年3月28日閲覧。

^ 「阪神・福原、今季限りで引退 2年連続で最優秀中継ぎ」『日本経済新聞』2016年9月23日。2020年11月28日閲覧。

^ 2000 ベースボール・レコード・ブック 40頁「1999年度の主な記録と出来事」より。

^ 「2001ベースボール・レコード・ブック」ベースボールマガジン社68、179頁

^ 鎮勝也『伝説の剛速球投手 君は山口高志を見たか』講談社、2014年、pp.247 - 248

^ 「阪神・福原 来季メジャー挑戦も レ軍、ナ軍筆頭に6球団が興味」『スポーツニッポン』2012年9月29日。2024年3月28日閲覧。

^ 「【トラとら虎】「AFK」に暗雲… 疲労色濃い救援陣、先行き不安」『ZAKZAK』2013年5月19日。2024年3月28日閲覧。

^ 「虎・福原、自己最多10S「抑えられてよかった」」『サンケイスポーツ』2013年8月25日。2013年8月29日閲覧。

^ 「阪神の福原が通算1000奪三振」『スポーツニッポン』2014年5月4日。2024年3月28日閲覧。

^ スポーツニッポン関西版2014年10月8日付2面

^ 「またビシエドにやられた…虎・福原、サヨナラ被弾で配置転換へ」『サンスポ』2016年4月18日。2022年6月7日閲覧。

^ 「阪神・福原 2軍で無期限調整へ 香田コーチ「期限は設けない」」『スポーツニッポン』2016年4月21日。2024年3月28日閲覧。

^ 「阪神福原が戦力外 ベテラン右腕に球威戻らず」『日刊スポーツ』2016年8月30日。2024年3月28日閲覧。

^ 「阪神 福原が引退会見、涙ぐんで「支えられ18年間。僕は幸せ者」」『スポーツニッポン』2016年9月23日。2024年3月28日閲覧。

^ 「【引退会見での一問一答】阪神・福原、涙で感謝…甲子園は「最高のマウンド」」『サンケイスポーツ』2016年9月23日。2024年3月28日閲覧。

^ 「福原号泣引退会見…高校の先輩・金本監督を胴上げしたかった」『デイリースポーツ』2016年9月24日。2024年3月28日閲覧。

^ 「阪神福原が18年分の涙 ラスト登板142キロ締め」『日刊スポーツ』2016年10月1日。2024年3月28日閲覧。

^ 「阪神福原「阪神園芸の皆様ありがとう」引退あいさつ」『日刊スポーツ』2016年10月1日。2024年3月28日閲覧。

^ 「任意引退選手 2016年度公示」日本野球機構、2016年10月26日。2016年10月26日閲覧。

^ 「阪神福原がファーム育成コーチ就任「投手育てたい」」『日刊スポーツ』2016年10月24日。2024年3月28日閲覧。

^ 「矢野阪神、5人のコーチがファーム担当から配置転換」『サンケイスポーツ』2018年10月22日。2024年3月28日閲覧。

^ 「【阪神】岡田政権はコーチ陣大刷新 井上ヘッドら1軍6人が退任、2軍監督には和田TAが就任」『日刊スポーツ』2022年10月15日。2023年1月17日閲覧。

^ 「阪神が今季の全首脳陣を発表 OB今岡真訪氏が6年ぶり復帰、元オリ水口栄二氏が新入団」『Full-Count』2023年1月17日。2023年1月17日閲覧。

^ 『2013 プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2013年、78頁。ISBN 978-4-905411-11-6。 

^ 「2台目ベンツゲット!虎・福留「来年優勝」してEクラス頂く(5)ヤナセ・阪神タイガースMVP賞歴代受賞者」『SANSPO.COM』産業経済新聞社、2015年12月12日。2018年3月1日閲覧。

^ 「【ファン交歓会一問一答】原口、関西弁の女性「いいと思います」(画像6)歴代サンスポMVP大賞、新人賞の受賞者」『SANSPO.COM』産業経済新聞社、2016年11月23日。2017年9月8日閲覧。

^ 月刊タイガース 1999年5月号45頁

広島県出身の人物一覧

東洋大学の人物一覧

阪神タイガースの選手一覧

個人年度別成績 福原忍 - NPB.jp 日本野球機構

選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube、MLB

選手情報 - 週刊ベースボールONLINE

マネージメント事務所「株式会社オフィスS.I.C」

80 岡田彰布

78 平田勝男(ヘッド)

88 安藤優也(投手)

90 久保田智之(投手)

83 嶋田宗彦(バッテリー)

77 今岡真訪(打撃)

73 水口栄二(打撃)

81 馬場敏史(内野守備走塁)

74 藤本敦士(内野守備走塁)

96 筒井壮(外野守備走塁)

86 和田豊(監督)

85 福原忍(投手)

72 江草仁貴(投手)

89 渡辺亮(投手)

87 野村克則(バッテリー)

84 日高剛(バッテリー補佐)

91 北川博敏(打撃)

75 山崎憲晴(打撃)

70 田中秀太(内野守備走塁)

76 工藤隆人(外野守備走塁)

71 上本博紀(野手)

00 ゲラ

13 岩崎優

14 岩貞祐太

15 西純矢

16 西勇輝

17 青柳晃洋

19 下村海翔

20 森木大智

21 秋山拓巳

26 椎葉剛

27 伊藤将司

28 鈴木勇斗

29 髙橋遥人

30 門別啓人

34 漆原大晟

35 才木浩人

36 浜地真澄

37 及川雅貴

41 村上頌樹

46 島本浩也

47 桐敷拓馬

48 茨木秀俊

49 大竹耕太郎

50 富田蓮

54 加治屋蓮

63 石黒佑弥

64 岡留英貴

65 湯浅京己

66 津田淳哉

69 石井大智

92 川原陸

93 岩田将貴

98 佐藤蓮

99 ビーズリー

2 梅野隆太郎

12 坂本誠志郎

39 榮枝裕貴

57 長坂拳弥

59 藤田健斗

68 中川勇斗

95 片山雄哉

0 木浪聖也

3 大山悠輔

4 熊谷敬宥

8 佐藤輝明

25 渡邉諒

33 糸原健斗

38 小幡竜平

44 戸井零士

45 遠藤成

51 中野拓夢

52 山田脩也

56 百﨑蒼生

62 植田海

67 髙寺望夢

94 原口文仁

1 森下翔太

5 近本光司

7 ノイジー

32 井上広大

40 井坪陽生

43 髙濱祐仁

53 島田海吏

55 ミエセス

58 前川右京

60 小野寺暖

61 豊田寛

97 野口恭佑

122 小川一平

123 松原快

125 伊藤稜

131 ベタンセス

132 マルティネス

126 福島圭音

1996 河野博文

1997 島田直也

1998 落合英二

1999 岩瀬仁紀

2000 岩瀬仁紀

2001 木塚敦志

2002 石井弘寿

2003 岩瀬仁紀

2004 岡本真也

2005 藤川球児

2006 藤川球児, 加藤武治

2007 久保田智之

2008 久保田智之

2009 山口鉄也

2010 浅尾拓也

2011 浅尾拓也

2012 山口鉄也

2013 S.マシソン, 山口鉄也

2014 福原忍

2015 福原忍

2016 S.マシソン

2017 桑原謙太朗, M.マテオ

2018 近藤一樹

2019 J.ロドリゲス

2020 清水昇, 祖父江大輔, 福敬登

2021 清水昇

2022 湯浅京己, Y.ロドリゲス

2023 島内颯太郎

1位:藤川球児

2位:金澤健人(逆指名)

3位:福原忍

4位:部坂俊之

5位:寺田祐也

日本の野球選手

広陵高等学校出身の野球選手

東洋大学硬式野球部の選手

阪神タイガース及びその前身球団の選手

最優秀中継ぎ投手 (NPB)

NPBオールスターゲーム選出選手

日本の野球指導者

広島県出身のスポーツ選手

1976年生

存命人物

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野球に関する記事

プロジェクト人物伝項目

ウィキデータにある日本野球機構選手識別子

2024/09/20 12:40更新

fukuhara shinobu


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